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(長文のため、ご興味を持っていただける方のみ、お読みになってください。) |
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私の心の旅は、小学校にさかのぼります。
小学校高学年の頃からでしょうか、当時集団で一人を「無視」するといういじめが流行り、私も例に 漏れずターゲットとなりました。味方が誰もいなくて寂しい中、無視されるのは自分の性格が悪いからだ、
と思うようになり、ある時から「いい人」を演じて自分の殻に閉じこもるようになりました。中学校、高校、 大学とも、友人にはとても恵まれたのですが、自分の本音を出すことができなくて、がんばって自分を
「作って」いました。一人で旅に出て、見聞を広めたりしたこともありましたが、常に自分に自信が持て なくて、自分の存在を証明してくれるものを探していました。一方で、感受性の強さゆえ、感じるストレス
も大きかったと思います。 |
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社会人2年目の春に、親しくしていた友人が突然亡くなりました。自分のせいだと責めて、悲嘆に明け暮れていたとき、友人に紹介された本がきっかけで、本格的に自分を見つめる心の旅が始まりました。
なぜかそのとき、「あまり人が経験しないことを経験したんだから、この経験を活かさなければならない」 と思っていました。 |
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そしていろいろな本を読み進むうちに、本だけでなく体験したくなり、いろんなセミナーやワークショップに参加しました。それまで持っていた「思い込み」を手放すのにずい分役に立ちました。日常生活に戻ると、自分のいい面を生かすよりネガティブなところばかり目が行ってしまって、やっぱり自分に自信が持てませんでした。その頃は、やる気が起こらなかったり、仕事が思うようにいかなかったりして、身近にいた男性と付き合ったり、週末に自然のあるところに旅したりして、何とか自分を保っていました。
整体やマッサージなんかは大好きでよく行っていましたが、つかの間の安息は得ることはできたけど、数日たてばもとのとおり。自分の根本を変えなければ、何をやっても同じ、と次第に気づいていきました。 |
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また、その頃テレビなどで、福祉関係や海外でボランティアで活動する人なんかの特集で、子供やお年寄りが笑っている姿に貢献している人を見て、妙にコンプレックスを感じ、普通以上に涙していました。そういうことをできない自分が情けないなぁと思いました。今思えば、自分の進みたい道を、テレビを通じて教えてもらっていたんだなぁって思います。 |
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そんな中、「ピン」ときたのが、レイキでした。自分で自分を癒せる。人にも施すことができる。上手く説明でき ませんが、直感でこれだ!って思いました。 |
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私は数あるレイキ教室の中で、レイドウレイキに出会いました。それ以外の情報に出会わなかったのです。 今思えばそれもご縁だったと思います。2002年4月、当時東京水道橋(現在は川崎)にあったヒューマン&トラスト研究所に、足を踏み入れました。受講当日は、私はお腹に違和感があり気持ち悪くて仕方がありませんでした。何か新しいものを得ようとして、古いものを手放すとき、そのようなことが起こるのだそうです。 |
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当初は、他者ヒーリングはまだ先のこと、ましてや開業するなどもってのほかでした。ただひたすら自分のためにレイキをしようと思っていました。レイキは仕事を続けながら、日々のストレス解消のためにセルフヒーリングや瞑想をし、週末は(再)受講するというスタイルを続けました。
ヒューマン&トラスト研究所の講習は、ヒーリング実習の時間があるので、自分がヒーリングもできるし受けることもでき、また 一緒に受講する方から学ぶことも多かったので、再受講を何回しても、とても有意義でした。ティーチャーコースも、レイキを人にレイキを伝える立場になろうなど考えたこともなく、当時は、エネルギーをたくさん受け取れるようになることと、当時一緒に学んでいた仲間がみな段階を進んだので、受講しました。そんな私が今こんな風にレイキのご縁をいただいているのも、とても不思議だと、思います。私の変化は遅い方でした。自分はいろいろ経験してきたんだ、という高いプライドも手伝い、古いものをなか
なか手放せずにいました。先生もそれを知っていて、気づけ〜手放せ〜と言わんばかりに、かなり厳しく指導していただきました。 |
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しかし、フシギとレイキを辞める気は起こりませんでした。それは、レイキヒーリングの気持ちよさを知っていたし、また続けることで変わっていけると思っていたからでした。実際、辛いことがあっても、帰ったらレイキをするぞ!と思えたことはとても安心につながりましたし、地球にヒーリングすることや他者ヒーリングなど、自分にも何かできることがある!と思えたことは、自分の価値を肯定し、大きな自信につながりました。ストレスいっぱいでヒーリングに臨み、ヒーリングの後は、解放され、元気に、自然体になっている自分にも出会いました。また、ストレスがたまるとアルコールを飲んで発散することが好きだったのですが、次第に、それよりはレイキや瞑想をしようという方向に変わっていきました。しかし、仕事はだんだんと忙しくなり、今思えば、当時の仕事による
ストレスやプレッシャーは私のキャパシティをはるかに超えていたのだと思います、帰ってからはヒーリングの時間より寝たいという状態が続きました。 |
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とうとう体を壊し、1ヶ月ほど会社を休むようになってしまいました。ヒーリングをたっぷり行って会社にいる自分を改めて振り返り、 何とまぁ自分の存在を証明するために、無理をし、自分を守り、また周りの人に迷惑をかけ、傷つけてきたんだろうと思いました。
それに気づけたのも、レイキをやっていたからこそだと思いました。もう無理はしたくないという自分の本当の気持ちに気づけ、状況を冷静に受け止めることができました。そして、ようやく、約9年勤めた会社を辞める決意ができました。 |
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自分の本当の癒しが進みだしたのは、会社を辞めて名古屋に帰ってきてからでした。自分の時間を瞑想やヒーリングに費やしたおかげで、 初めて気づけたこと、受け入れられるようになったことのほうが多かったです。その経験から、「休むことからはじめよう」という言葉を思いつきました。レイキという道具を学んでも、自分が自分の時間をとってあげられない限り、そして、自分の身に起こっていることを受け止めていかない限り、望む方向に向かっていくのは難しかった からです。また名古屋に帰ってきた当初も、自分がヒーリングルームを開くなど夢にも思っていませんでしたが、帰って来てから出会った 人を通して、自分の伝えたいこと、やりたいことを気づかせてもらい、2004年の8月、休息の杜を立ち上げました。自信のない私でしたが、 ヒーリングにより喜んでいただけることで、自分の自信も回復していきました。 |
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今はレイキができるだけで、またレイキを通じていろいろな人と出会えることが、うれしい、幸せだなぁと思う毎日を過ごしています。これからも、より多くの方を、深く、癒すことができるように、まず私自身が前進していきたいと思います。
よく、私にもレイキができるでしょうか?と言う質問をいただくのですが、これまで読んでくださった方にはお分かりのとおり、私はいたって普通な、どこにでもいる人間です。私ができることは、誰にでもできるのだと、思います。ご縁あって出会えるなら、私もその方から多くの学びをいただきます。道をともに歩んでいけたら、うれしいです。
そして、一人ひとりが自分の内側とリンクし、自分が感じることに信頼を置いていくことで、不安や心配に惑わされない、平和な世の中を作っていくことが可能になると思っています。 |